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ロシアとLTCM

 ロシアを巡る報道が増え続けている。ウクライナ侵攻がどれほどの確率で起こるのか、軍事専門家でない筆者には解らない。だがロシアと言えばどうしても1998年のロシア危機とLTCM危機が思い浮かぶ。ノーベル賞ファンドなどと称賛されていたLTCMがロシア国債で引っ掛かり、ウォール街の救済を受けたあの一件である。当時筆者は米銀にいたが、東京の幹部らはLTCMとLTCBという二つの「LTC危機」で盛り上がっていた。 ロシアへの経済制裁と簡単にメディアは報じるが、輸出シェアでガスは世界最大、原油は世界二番目という資源大国にどれほど有効な制裁があるだろうか。ついでに言えば、ロシアの小麦輸出シェアも20%近い。ウクライナと合算すれば生産量は世界のほぼ30%である。アルミの輸出国としても有名だし、農業に必要な尿素やカリの大生産国でもある。このインフレ時代に、ロシアに制裁すれば世界経済は混乱するばかりだろう。 とはいえ、ロシアを野放しには出来ない。NATO拡大策の見直しは不可避だと思うが、東欧諸国の不安を考えれば妥協も出来ない、というのが米国の袋小路状況である。まあ円滑な解決が早々に実現するとも思えず、市場はロシア危機の再来などと囃し立てるのかもしれない。そういえばロシア危機のあと、LTCMのメンバーだったショールズ教授とテレビ対談する機会があった。ロシアの話を聞こうと思ったが、その話は事前チェックでダメ出しされたのを思い出した。ノーベル賞学者でも、触れてほしくない話題があるのですねえ。

50BP利上げ説

 「世界潮流」に書いたFRBの50BP利上げシナリオは、アトランタ連銀総裁が言及してしまったので、もうサプライズではなくなった。こうしたコミュニケーション戦術で、少しずつネガティブな反応リスクを消していくのは賢明だろう。だが米国のインフレはこの程度の利上げで収まるものではない。極端にいえば、いま米国に必要なのはいつか日本でも説かれた「総需要抑制政策」なのである。  サプライサイドが硬直しているのだから、需給均衡には需要押し下げが必要なのである。そんな「反社会的」な政策など採れない、というのは「物価安定」を求められている中銀の怠慢だ、と思うがどうだろうか。それを怠った1970年代のバーンズFRB総裁のツケを、のちのボルカー総裁の引き締めで、家計や企業が支払うことになったのだ。株価が20%や30%下がろうが、そんな犠牲に比べれば大した話ではないのである。  そもそも米国の実質金利は低すぎる。ゼロ金利で7%のインフレだから、FF金利の実質水準はマイナス7%という途方もないレベルだ。インフレ率が幸運にも3%程度まで下がったとしても、実質金利をゼロにまで持っていくには3%の利上げが必要なのだ。まあそれは非現実的だろうが、50BP利上げで驚いているようでは「マクロな経済構造が見えていない」と言われても仕方がないだろう。

漫画家くらもちふさこ

 来月引越しするので身辺整理してたら、懐かしい絵が一枚出てきた。1978年、当時漫画家デビューしたばかりのくらもちふさこさんに書いて貰った自画像だ。当時、西荻で週3日の引き語りバイトをしていた時代、お客さんで来ていた彼女にマンガ好きの友人が声を掛けて、描いてもらったものである。その後、彼女は押しも押されもせぬ大漫画家になった。ひょっとして、この絵はお宝になるやもしれぬ。 私のマンガ好きは、姉の影響であった。萩尾望都の全集は断捨離でも捨てられない。ギターは全部売っぱらったのにこれはダメ、という判断基準が自分でも良く解らない。学生時代には、ガロという漫画雑誌も友人から借りて読んでいた。それははっぴいえんど時代の松本隆の世界観でもあった。高校時代、私は難しい漢字を学校ではなく松本隆の詩から学んだのであった。 くらもちさんの一枚の絵は、そうした学生時代の思い出を幾つも引っ張り出してきた。引き語りのバイトの際に、何を歌っていたのかうまく思い出せないが、鮮明な記憶があるのがジャックスの早川義夫である。サルビアの花が全く間違って解釈されてヒットしてしまったことでも有名だが、私の好きなのは「遠い海へ旅に出た私の恋人」。死んでしまった恋人を思い綴った相沢靖子作詞の名曲である。くらもちさんも含め、こういう情景が難なく描ける人は、本当に羨ましい。

株価の相場観

 筆者の専門は株ではないが、講演とか勉強会では必ずと言って良いくらい株の見通しを聞かれる。最近では為替よりも株の話題の方が圧倒的に多い。株を持っていない人からはバブルはいつ弾けるのかと聞かれ、株に熱心な人からは何を買えばよいか、と問い詰められる。挙句の果てに、お前のポートフォリオを教えろ、という人も居る。無料相談室ではないのだ。  だが一応個人投資家としても相場には携わっているので、一通りの相場観はある。失敗もあり、レバレッジも掛かっているので、年間の変動率は高い方かもしれないが過去数十年間のパフォーマンスは悪くない、と自分では思っている。昨年後半はかなり慎重になったので期待利益を失った感もあったが、今年に入っての動きを見れば正解だったと思う。やはり見るべきは実体経済、それも悪魔の宿る細部である。 今年もたいして期待していないので、リスクテイクは年後半までお預けとするつもりだ。講演で何を聞かれても、何もしない、と繰り返すことになるだろう。とはいえ、本当に何もしないのではなく、次に買うのは何かを整理しておくことはやるつもり。その準備は少しずつ始めております。

期待値コントロールの失敗

 先日、3回目のワクチン接種を受けてきた。モデルナは各地で余っているらしい。私は1,2回ともモデルナだったので抵抗はなかったが、どうやら世間では副作用がキツイとの噂で、みんなファイザーを待っているらしい。従ってモデルナなら即打てる、という状況である。高齢者なので早いということも有るが、余ってるなら若い希望者にどんどん接種すればよい。副作用が怖い老人は、感染リスクを背負って待てば良いだけであろう。 これは一種の期待値コントロールの失敗だ。それには前例がある。日銀の「物価上昇期待に働き掛ける試み」の失敗だ。カネをばらまけばインフレ期待が上がる、という奴である。これは物価低迷という長期的体験、値上げは悪だという社会的価値観、そして物価などさして重要でないという合理的無関心という「三本柱」で打ち砕かれた。期待値をコントロール出来るというのは傲慢な思い込みである。  日本だけでなく、米国も物価に関する期待値コントロールには成功していない。FRBは2%という看板を掲げ続けてきたが、一般家計には浸透しておらず、米国民の40%は「インフレとは10%以上の事」という認識を抱いているというデータもある。故に何のために量的緩和をやってきたのか、大半は理解していない。だから、最近になって急に引き締めに転換したので素人投資家が驚いて投げ売り、という展開になっているのだろう。期待値は魔物である。あの中国の習主席だって、期待値を自在に管理することは恐らく不可能で、どこかで何かに失敗するのではないかと思っている。

様々な金融の失敗

 人間は失敗する存在であり、失敗自体を責めることは出来ない。だが失敗を反省してその巻き返しを怠ることは責められても仕方がない。個人的にはディーラーとして恥ずかしい失敗を何度も繰り返してきたが、理解ある上司や同僚のお陰で何とか40代まで生き延び、その無形資産で未だに仕事が続けられている。月並みな言葉だが、失敗は時間の経過とともに負債から資産に変わり得る。  金融と長く付き合ってきたきたので、市場の失敗、政府の失敗、そして中銀の失敗などいろいろな失敗を目にしてきた。昨年はFRBの失敗が最大で、今年もその失敗を引き摺っている。慌てて利上げやバランスシート縮小に向かい始めているが、スタートで出遅れたのは致命的だ。市場やメディアは「タカ派的だ」と警戒しているが、噴飯物である。タカ派的でなかったのが失敗の本質であるからだ。  サマーズ氏のように、景気後退でしかインフレ抑制は成功しないとまでは思っていないが、よほどの幸運が無ければ、FRBのソフトランディング戦術は成就しないだろう。米国の景気失速は来年以降と読んでいたが、急速な引き締めが不可避となる可能性が高いので、少し前倒ししておこう。来年には景気後退も有り得るだろう。日本は本格的なコロナ禍からの回復までにそんな逆風を受けてしまうかもしれない。潜在成長率ゼロの国に、妙薬は無い。

地方金融再考

 あるご縁で、生まれ故郷の地元銀行の社外取締役という貴重な仕事をさせて頂いている。そこには40年前の銀行勤務でお世話になった大先輩もおられるので、お世辞抜きで大変勉強なります。私は田舎出身ながら田舎を放り出し、銀行出身ながら銀行を放り出して流浪の旅に出てしまったので、地域金融のことは殆どこの先輩に教えて貰っている。先般、ある大学で地銀経営というテーマで質疑応答に狩り出されたが、その回答はほぼ受け売りでありました。  とはいえ、4年近くもやっているとだんだん地域金融の事も解ってくる。苦しいだけでなく期待できるところが結構あることに気付く。都会育ちの機関投資家や格付け会社の連中には解らんだろうなア、と最近つくづく思う。「地方」というだけで拒絶反応を起こす人が多いのは、マス・メディアの責任でもある。地方を語るなら、少なくとも5年くらいは地方に住んで働いててみろよ、とでも言いたくなる。  田舎の実家は造り酒屋であるが、その大吟醸の酒粕で作った地ビールが何ともうまい。私は淡白で味も素っ気も無い日本のビールが嫌いだが、これは好きな味だ。いい風味なのですよ。こういう味は田舎でしか出せんだろうなア、と思いながら今日もネットで6本注文した。コロナ禍の巣篭りには不可欠な「田舎味」である。金融にも田舎味がある事を機関投資家はもっと勉強して欲しい。

もう一つの「まん延」

 まん延防止等重点措置が34都道府県に適用される。もう日本全国に出しても良いくらいだが、この制度の効果もあまりなさそうだ。政府も役人も医者も右往左往して、何が何だかわからない状況になってきた。英国のようにコロナとの共生でもなく、中国のようにゼロコロナでもない、中途半端な対応の中、もう自然のピークアウトを待つしかないのだろう。あと数週間の辛抱で済めば結果オーライであろろうが、日本の「失敗学」は研究のし甲斐がありそうだ。  さて「まん延」といえば、最近の市場の話題である「リスク・オフ」もまん延と言って良さそうだ。これまた予想通りであり、取り立てて騒ぐ話でもないが、金利上昇に加えて地政学リスクが台頭してきたことで「まん延」を増幅している。まあ金利上昇リスクも気に賭けないでリスク資産を買い漁っていた人々は、マスクなしにコロナウィルスの舞う空間に突撃していったのと同じである。今年に入って相場で右往左往するのがリスク管理のアマチュアであることも、コロナ禍と似ている。  まあ相場が何処で落ち着くのか、と議論するのも時期尚早であろう。米国には利上げよりも厳しいFRBのバランスシート縮小という驚異の「変異種」が待ち構えているからだ。これは既存のワクチンやマスクでは太刀打ちできないかもしれない。その意味では、まだウィルスの方が共生の可能性を保ってくれているだけ優しいのかもしれない、と思ったりする。

生き延びるMMT派

 地方で講演すると、本当に地元経済がコロナ禍で疲弊している実態が良く解る。政府の補助金が無ければ事業継続は不可能だった、という企業はザラにある。まあ日本だけではないが、危機対応としては割と上手くいったように思われる。ゼロゼロ融資もいろいろ意見はあるが、必要不可欠であった。問題は、返済を要請されるこれからだ。 地方の中小企業経営者には、補助金もゼロゼロ融資も永遠に続けて欲しい、といったニュアンスで発言する人も居る。すべて資本性の劣後ローンにして、あわよくば返済しないで済む資金にしてほしい、という願望もちらちら見える。事業が厳しいのは理解できるが、金融や財政の出来ることにも限界がある。特に財政については日本には余力が無い。 というと、必ず出てくるのがMMT的反論である。財政拡大にブレーキを掛ける必要はない、と主張する経営者は意外に多い。増税が必要ならインフレになればやればいい、という。そんな都合の良い政治の仕組みはありません。現代社会には財政赤字拡張が「ビルトイン」されているのだ。政府のプライマリー・バランス黒字論なんで、MMTと同じくらい怪しいまやかしなのですよねえ。

ブースター接種終了

 住んでる区の区役所からモデルナならすぐ打てるとLINEで連絡が来た。ワクチンは余ってるらしい。これまで、政府は在庫が無いので三回目接種の目処が立たないとか言ってたのに、大嘘ついてたようだ。いま早速打って貰った。 世の中ではサプライチェーン問題が至る所で噴出している。在庫管理の稚拙さも一因だろう。ジャストインタイムという経費削減優先が常に優位では無い事が、コロナ禍で鮮明になった。ロジが下手な国は戦争に勝てず、企業は弱体化する。ワクチン対策もまた同じ。 ブースター打っても効き目が無いという報告もある。当面の危機対応モードは緩められない。中国のゼロコロナ策も事実上破綻している。だがワクチンが不可欠である事もまた事実。打ちたいヒトに早く届けられない政治体制は支持のしようがない。

SPACバブルの終焉

 昨年の今頃、ある編集者から連絡があり、特別買収目的会社ってどんな印象ですか、と聞かれたので、阿保らしい米国流のバブルだと答えたら、それを書いてくれと頼まれた。SPACの仕組みやそのブームの背景などを綴ったら、結構な反応があった。賛成が8割くらいだったが、中には日本でも導入すべきだという意見もあった。  単なる空箱で大騒ぎするのは米国だけで十分だと思っていたら、欧州が真似をし、東証まで導入検討と言い出して驚いた。ビジネスの活況と言えば聞こえは良いけれど、株高の風に乗った単なるバブルだとの確信はあった。その後流石にSECが目を付け、M&Aの失敗例も目につき始め、株価低迷というケースも増えた。買収出来ないまま宙ぶらりんのSPACも増えている。  昨年末からどうやら上場計画中断、取り消しという例が増えているらしい。株高が止まって、やっと市場も正気を取り戻したかのかもしれない。買収の好きなとある日本企業も随分SPACに入れ込んでいたが、こんな空虚なゲームが流行るのも現代金融の愚かさの象徴であろう、と3回目ブースター接種を待つ高齢者は考える。

ドイツ10年債利回り

 米国の長期金利がなかなか2%に届かないナ、と思っていたら、ドイツの長期金利の方が先にプラスを回復してしまった。前者の方が早いと思っていたのに、後者の動きの方が早かったのは意外だった。ドイツの10年債利回りは昨年12月中旬にはまだマイナス0.4%近辺であったから、相当の勢いである。市場は、インフレに関して「パウエル敗北」に続く「ラガルド敗戦」を予想しているのだろう。  まあ中銀総裁にケチをつける訳ではないが、FRBもECBもトップが弁護士というのは、現代経済の異形さと脆弱さを象徴しているような気もする。エコノミストがいつも正しいとは言えないが、経済モデルの基礎を学んだ人とそうでない人の思考経路やリスク感覚が異なることは否定できないだろう。ラガルド総裁の発言の背後には、政治を感じてしまうことがよくある。  インフレが沈静化する確率が低い訳ではない。年後半にスルスルと低下するかもしれない。だがそれはあくまで結果論であり、それだけに賭けるのは、現在必要とされるリスク・マネジメントではない。少なくとも緩和は辞めとこうね、というその一言が言えないのが、リスクの象徴である。  

米銀も人手不足

 ある米国の経営者調査において、今年の懸念材料のトップがインフレではなく人手不足であった、との由。コスト増は価格転嫁できるが、人手不足の即効薬はない。新規採用が出来ないだけでなく、社員の引き留めも必要である。日本ではコロナ前から人手不足が顕著であったが、米国ではコロナ禍を契機として不足基調が加速しているようだ。  好調な米銀決算にも人件費の急増が鮮明になっており、収益を圧迫して株価が急落している。筆者の古巣の米銀も、相当なボーナスを払わないと人材が流出してしまうリスクに晒されているらしい。他行も推して知るべし、だ。メーカーは原油や輸送だけでなく人件費の上昇も価格転嫁で凌げるが、銀行は価格転嫁という術がない。加えて、デジタル勢との競争でシステム費用が急増しそうな気配もある。  銀行は脱炭素にも気を配らねばならないが、金融における脱炭素は電気のエネルギー源を再エネに振り替えるくらいしか方法がない。これもコストが掛かる。公用車の買い替えもコスト増だ。やはり金利が上がって貰わないことには、ペイしない。それは邦銀とて同じことである。日銀はいつまで頬かむりしているつもりなのでしょうねえ。

ニッポン沈没

 1970年代に小松左京が描いた日本沈没はインパクトがあった。パニック物というよりSFらしい問題提起が人々の心を捉えたのだろう。それは初期的なリスク管理アプローチでもあったが、日本に本格的な危機管理機構が生まれることはなかった。原爆の被害は原発事故を防ぐことが出来ず、自然災害の多発は諦観という美意識だけを生み、金融危機は資本システム強化には繋がらず、感染症にも無防備な状況から脱せない。  異形の金融政策もまたメリハリのない緩和方針が継続中で、ステルス・テーパリングとはいいながら、長期金利の不健全な固定化を続けている。表面的には危機が生じていないように見えるが、緩慢な金融政策の長期化の下で資本市場の弱体化と財政のマネタイズは着々と進行中であり、地下の危機マグマは日々拡大している。政府の財政再建は口ばかりで、日銀も物価目標は逆に達成しない方が有難い、という奇妙な世界観に囚われ始めている。  危機管理は危機が起きてから始めても意味がない。ニッポン沈没のリスクに敏感な人達はさっさとおカネを海外に流し、労働機会も海外に求め始めている。何が成功するかは解らないが、海外への脱出はもはやリスクテイクではなく、リスクヘッジなのだろう。思えば筆者も、邦銀を辞めて米銀に移籍した時は、自身の行動をリスクヘッジだと思っていた。日本に残る人達の方が、実は凄いリスクテイクをしていたのである。当時以上に、日本のリスクは上昇中だと言っても良いかもしれない、  

米中正反対の金融政策

 インフレ抑制手遅れ気味の米国は、3月50BP利上げやFOMC毎回利上げ、といった説も浮上中だ。年4回で年末にFF金利1%などという、気の向けたような利上げがインフレ抑制に殆ど効かないことは明白である。この辺は、FF金利20%台や日本の狂乱物価といった超インフレ時代を体験した世代の先走りかもしれないが、インフレは馬鹿にしない方が良い。来てほしい時には来ないが、来るときはあという間に来てしまい、手に負えなくなるのがインフレである。  一方で中国は昨年末から金融緩和に舵を切り、昨日もMLRやリバースレポ金利を引き下げ、数日後には更なる利下げも予想されている。中国経済が不安定化している主因は、不動産開発業界の締め上げとゼロコロナという習主席の強硬策だ。一種の人災である。インフレが抑制されているから、と金融緩和に走っているが、国際的なインフレ圧力が中国に無縁な訳がない。ゼロコロナもゼロインフレも、習主席の妄想的戯言であろう。「一強」というのは何処の国でも弊害が起き易い。  今年のリスクは「米国のインフレ」「中国の習主席」が二大横綱である。コロナも心配だが、徐々に存在感は薄まっていくことだろう。

中国のオミクロン

 中国の「ゼロ・コロナ政策」は今年のユーラシア・グループのトップ・リスクに挙げられていたが、年初以降のオミクロン株市中感染の拡大は、それが機能していないことを如実に示している。西安、天津、上海、北京といった大都市でも確認され、ビジネスが集積する河南省や広東省でも広がり始めている。一人確認されれば背後に無数の感染者が存在することを意味している。北京五輪や党大会どうのこうの、といった話ではない。 だが当局の強硬な都市封鎖や行動制限でビジネスには影響が出る。第1四半期の世界経済は低調なスタートとなるだろう。期待は春以降に持ち越しだが、その頃には世界中で利上げやバランスシート縮小の嵐が吹いていることだろう。下手すれば日銀も、といった思惑も出るかもしれない。景況感の回復と裏腹に相場は厳しい局面に入っているかもしれない。果報は寝て待て、か。今年の前半はおとなしくしていた方が良いかも、と思っている。

大学院講義にて

 国際資本システム研究所、というのがある。ここで所長の肩書を貰ってとある大学院の講義を定期的にやっている。もともと学校で教え始めたのは、20年ほど前の中央大学の大学院だった。客員教授といえば聞こえは良いが、たいして報酬も貰えず、時間の負担が厳しくなって辞めた。そもそも、教えるのが得意ではないのだ。  その後も断れない依頼で幾つかの大学院の講義に出掛け、何年か前には立教大学で経済学部講師として初めて学部生を教えることになった。中国からの留学生の出来の良さに感服したり、試験前になると単位が欲しいと泣きついてくる学生に呆れたり、レポートも出さないで単位をくれと堂々と頼みに来る学生を叱ったり、と様々な経験をした。出来の悪い試験の答案用紙に、拙書を読んで感服しました、とゴマすり戦術に出る学生もいた。  昨今では教壇に立つことはお断りしているが、唯一「研究所」の講義だけは無報酬で引き受けている。自分の頭の整理にもなるからだ。教えるというよりも、自分の考えをまとめる方に力を入れる、学生諸君には申し訳ないが、本に書いてあることは本で読んで下さい、と突き放す。まあ講師失格かもしれないが、筆者にはその程度の力量しかないのである。すみません。

クラリダ疑惑

 ちょいと前の話だが、福井元日銀総裁が村上ファンドに出資して運用益を得ていたことが問題視された。進退問題にまでは発展しなかったが、倫理上の問題は残った。中銀関係者が在職中に金融資産に手を出すのはご法度であろう。 だがFRBのケースはもっと醜い。昨年、ボストンとダラスの量連銀総裁が自己取引で事実上の引責辞任となったが、クラリダ副議長にも疑惑が浮上、2020年2月という微妙な時期に数百万ドルの債券・株の入れ替え取引を行っていたことが判明した。FRBは「事前承認済」として不問に付したが、今年に入ってまた新たな取引が発覚、同副議長は「不注意なエラー」だと釈明し、追及される前に辞表を出してしまった。こういうの、許されますかねえ。  同年2月といえば、コロナ発現で株価急落の状況にあった時期である。同氏は数百万ドルの株ファンドを売ったその3日後に同額を買い戻しているのである。その翌日にパウエル議長は、経済支援の為に政策発動すると発言し、数日後には利下げを発表したのだ。さらに金融支援策は拡大され、株価は大底を打つ。クラリダ副議長は完全な利害関係者である。その過程で、株で大儲けしたことは間違いない。ばれたので、グッドバイ。哀しいかな、これがFRBなのである。

米国の消費者物価指数

 インフレは賃金上昇を打ち消してしまう。米国では平均時給が5%くらい上がっているが、肌感覚の家計支出費は10%くらい上がっているだろう、即ち、絶好調に見える米国でも実質所得はマイナスである。人手不足の折、労働者は賃上げ闘争を強める可能性が高い。サービス業で賃金が上がればサービス業のコストも上がる。モノからサービスへ需要シフトが起きても、サービス・コストが上がるのでインフレは沈静化しない、という筋立ても有り得る。一度始まったインフレは簡単に収まらない。だから1970年代にボルカーさんは苦労したのです。パウエルさんは甘過ぎますね。 12月の米消費者物価指数、全体の数字だけ見て騒ぐのは素人の仕事。プロは詳細を見る。上がっているのは自動車や食品、家賃だけではない。医療費も家具備品サービスも洗濯費も散髪代も、ペットサービス代も法律サービス費も上がっている。サプライチェーンだけではないのです。悪魔は細部に宿る。インフレもまたしかり。

需給バランス崩壊

 昨年の世界経済はインフレが話題になったが、それは飽くまで結果論であり、現象面では需給バランスの崩れに注目することの方が重要だ。供給の弱さと需要の強さが極度にぶれたことを、需要不足に慣れ切った現代人は見誤ったというべきだろう。それは企業のサプライ・チェーンに止まらない。日本のワクチン政策も同じ穴の狢である。 もともと国内に供給先がないのに加え、需要が早急に拡大するのは自明だったが、調達が大幅に遅れた。さらに秋の沈静化時期に追加ワクチン調達を怠った。間違いなく厚労省のチョンボであり、岸田政権の危機感の無さの表れである。感染ピークを迎える時期にブースター打ってどうする。まさに泥棒を見て縄を綯う、を絵に描いたようなニッポンである。  PCR検査も完全に需給バランスが崩れている。検査体制が拡充されていないからだ。新規感染がピークを打ったとしても、信用できるはずがない。検査数に限界があるからだ。一昨年来、あれだけ検査の重要性が指摘されながら、何も手を打っていない。開いた口がまた拡がる、とはこのことである。

幸田真音さんの「ほんのきもち」

 作家の幸田真音さんとは古い付き合いになる。彼女がバンカース・トラストの外債セールスだった1980年代、邦銀の運用担当者だった私は「澤さん」の顧客のヒトリであった。その後、氏は金融界を去り、私はそのバンカースに移籍する。そして丁度その頃小説「日本国債」で華々しいデビューを飾った。モノ書きを始めていた私との付き合いも再開された。 何度かメディアのインタビューでも一緒になったり、彼女の作品の文庫本の解説を書いたり、私のニューズレターの顧客になられたりと、サラリーマンを辞めてからの付き合いももう20年になる。そんな中で年初に幸田さんから、著名人が送りたい本を紹介する「ほんのきち」という冊子に拙書を紹介しておきました、とメールが来た。嬉しい、の一言である。 彼女が選んでくれたのは、ちくま新書の「金融史がわかれば世界がわかる」の新版だった。オリジナルは2005年、新版は2017年という息の長いロングセラーである。独立して数年経ったころに書いた本であり、愛着もある。そんな本を幸田さんが選んでくれたことに、あらためて感謝したい気持ちで一杯だ。

FRBのバランスシート

 FRBの政策焦点は利上げペースだけではない。バランスシートの縮小ペースも重要なテーマになるだろう。筆者は6月にもMBS再投資を停止し、年内には国債の再投資も停止すると予想している。約9兆ドルの規模をどこまで減らせるのかは、実体経済やインフレ動向次第だろう。昨年12月のCPIは前年同月比7%を超えるのは確実であり、いつまでもだらだらとマネーをばら撒いている場合ではない。え?日銀? あそこは異次元の中銀なので、予想も付きません。

インフレを知らない投資家たち

 昔、北山修氏が作詞して話題になった「戦争を知らない子供たち」という歌があった。ジローズが歌ってヒットした一方で、あまりに戦争認識が薄すぎるとの批判も起きた。だが当時の若いフォーク世代は、筆者を含めて、無邪気にその歌を歌い続けていた記憶がある。今なら、批判の意味も分かる。反戦フォークの賞味期限も短かった。歌で社会は救えない。 そしていま、インフレを知らない投資家たちが市場を闊歩している。特に米国では、殆どの参加者が1970年代のインフレやスタグフレーションを知らない。多分、企業の財務担当者やその責任者もそうだろう。株を買いまくり、金を借りまくり、それが成長だと錯覚している。だが戦争が無くならないように、インフレも蘇生して再び市場を駆け巡るだろう。テーラー教授は今なら適正FF金利は少なくとも3%だ、と主張していた。だが、インフレを知らない投資家の耳に、そんな警告は届きそうにない。

人ごみの休日

 所用があって池袋まで出掛けた。まずJR山手線は通勤ラッシュ並みの混雑。閉口したが降りる訳にも行かず、周りにウレタン・マスクが居ないかどうかを確認しながらじっと20分間乗車。池袋駅を降りたら眩暈のするような人混み。地下道を避けて地上に上がるも、同じように人だかり。オミクロン関係なし、の風景が広がる。既に第六波は到来していることは確実だが、これが「慣れ」の恐ろしさでもあり強さでもある。どっちにウェイトを置くのかは価値観の違い。筆者も20代だったら後者だったかもと思いつつ、ビクビクしながら帰り道を急いだのでありました。

チェンバロ3年目

 チェンバロのレッスンを始めて3年目に突入、コロナで一時教室閉鎖となって呆然としたが同じ先生の別のクラスに入れて貰って再開している。ギターをやってたせいか、左手が良く動いてバロック向きと褒められるが、指力の入れ方のバランスの悪さ、手首の不安定さという悪い癖がなかなか修正できず、毎回指導されている。ピアノと違って弾く弦楽器なので、繊細さも要求される。良い音が出る日と出ない日があるような気がする。ディーラー時代、儲かった日と大損した日があったのを思い出した。

焦るFRB

昨年の最大の市場トピックスは、コロナでもインフレでも恒大集団でもなく、FRBの物価に対する判断ミスであった。金融の専門家はサプライ・チェーンの実務を知らないのである。大昔に貿易金融実務をやった筆者は辛うじて雰囲気が解るが、資本市場しか知らない人達は、なぜ物価が上昇し続けるのか理解できなかったのだろう。今年の問題は、その判断ミスが政策ミスに繋がるかどうかである。パウエル議長らが焦っているのは手に取るように解る。超ハト派の連銀メンバーさえも早期利上げを支持しているのを見れば、おのずとFOMCの雰囲気が掴めるというものだ。今年の市場は荒れるでしょう。日本もその渦に巻き込まれるのはほぼ確実だと思います。

今年の株価

 年初なので縁起を担いで日経平均35000円といった予想が飛び交うのもやむを得ないが、利上げをまともに織り込む能力もない米国株市場を見れば今年の株価に大して期待できない事も自明だろう。中途半端な押し目買いもやめておこう。株は20%位は落ちないと買う気がしない。 メルマガにも書いたが、素人が席巻する米国株はリスクの塊です。クワバラ。

円安に違和感なし

 久々にドル円116円という相場を見た。2017年以来である。今年120円をトライするのは確実で、そこを突破する可能性も高いだろう。リスクオフの円高は絶好のドル買い場面になるだろう。政治、経済、財政、金融、どれを取っても円には魅力が無くなった。日本の未来にここまで悲観的になったのも久々である。円が久々の安値に沈んでも、まあ違和感はないですね。

仕事始め

 4日から仕事開始とはいいながら、海外市場が3日から空いていたので実質的には昨日から仕事を始めていた。金融とは無縁で5日まで休みの長男・次男からはキチガイ扱いされているが、こればかりは仕方がない。海外市場は明るいムードで始まったが、向こう1年を見渡してみれば、派手な荒波の様子が目に浮かんでくる。米国市場はいずれ、50BP利上げ、臨時FOMC開催、バランスシート縮小といった想定外のメニューを目にするかもしれない。投資は最小限に抑えている。まあ1-3月期の新規リスク・テイクはJ-リートくらいに止めておくことにしよう。 

財政破綻論

 今月号の文芸春秋に小林研一郎氏と中野剛志氏の財政破綻論を巡る対談が掲載されている。健全財政派と積極財政派の虚しい論争ではあるが、中野氏の論理的脆弱性を確認するには役立つかもしれない。要するに日銀がサポートする限り問題ないという論説に過ぎない。こんな議論が未だに棲息している事にあらためた溜息が出る。本石町の罪は重い。