ニッポン沈没

 1970年代に小松左京が描いた日本沈没はインパクトがあった。パニック物というよりSFらしい問題提起が人々の心を捉えたのだろう。それは初期的なリスク管理アプローチでもあったが、日本に本格的な危機管理機構が生まれることはなかった。原爆の被害は原発事故を防ぐことが出来ず、自然災害の多発は諦観という美意識だけを生み、金融危機は資本システム強化には繋がらず、感染症にも無防備な状況から脱せない。

 異形の金融政策もまたメリハリのない緩和方針が継続中で、ステルス・テーパリングとはいいながら、長期金利の不健全な固定化を続けている。表面的には危機が生じていないように見えるが、緩慢な金融政策の長期化の下で資本市場の弱体化と財政のマネタイズは着々と進行中であり、地下の危機マグマは日々拡大している。政府の財政再建は口ばかりで、日銀も物価目標は逆に達成しない方が有難い、という奇妙な世界観に囚われ始めている。

 危機管理は危機が起きてから始めても意味がない。ニッポン沈没のリスクに敏感な人達はさっさとおカネを海外に流し、労働機会も海外に求め始めている。何が成功するかは解らないが、海外への脱出はもはやリスクテイクではなく、リスクヘッジなのだろう。思えば筆者も、邦銀を辞めて米銀に移籍した時は、自身の行動をリスクヘッジだと思っていた。日本に残る人達の方が、実は凄いリスクテイクをしていたのである。当時以上に、日本のリスクは上昇中だと言っても良いかもしれない、

 

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