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ロシアとLTCM

 ロシアを巡る報道が増え続けている。ウクライナ侵攻がどれほどの確率で起こるのか、軍事専門家でない筆者には解らない。だがロシアと言えばどうしても1998年のロシア危機とLTCM危機が思い浮かぶ。ノーベル賞ファンドなどと称賛されていたLTCMがロシア国債で引っ掛かり、ウォール街の救済を受けたあの一件である。当時筆者は米銀にいたが、東京の幹部らはLTCMとLTCBという二つの「LTC危機」で盛り上がっていた。 ロシアへの経済制裁と簡単にメディアは報じるが、輸出シェアでガスは世界最大、原油は世界二番目という資源大国にどれほど有効な制裁があるだろうか。ついでに言えば、ロシアの小麦輸出シェアも20%近い。ウクライナと合算すれば生産量は世界のほぼ30%である。アルミの輸出国としても有名だし、農業に必要な尿素やカリの大生産国でもある。このインフレ時代に、ロシアに制裁すれば世界経済は混乱するばかりだろう。 とはいえ、ロシアを野放しには出来ない。NATO拡大策の見直しは不可避だと思うが、東欧諸国の不安を考えれば妥協も出来ない、というのが米国の袋小路状況である。まあ円滑な解決が早々に実現するとも思えず、市場はロシア危機の再来などと囃し立てるのかもしれない。そういえばロシア危機のあと、LTCMのメンバーだったショールズ教授とテレビ対談する機会があった。ロシアの話を聞こうと思ったが、その話は事前チェックでダメ出しされたのを思い出した。ノーベル賞学者でも、触れてほしくない話題があるのですねえ。

50BP利上げ説

 「世界潮流」に書いたFRBの50BP利上げシナリオは、アトランタ連銀総裁が言及してしまったので、もうサプライズではなくなった。こうしたコミュニケーション戦術で、少しずつネガティブな反応リスクを消していくのは賢明だろう。だが米国のインフレはこの程度の利上げで収まるものではない。極端にいえば、いま米国に必要なのはいつか日本でも説かれた「総需要抑制政策」なのである。  サプライサイドが硬直しているのだから、需給均衡には需要押し下げが必要なのである。そんな「反社会的」な政策など採れない、というのは「物価安定」を求められている中銀の怠慢だ、と思うがどうだろうか。それを怠った1970年代のバーンズFRB総裁のツケを、のちのボルカー総裁の引き締めで、家計や企業が支払うことになったのだ。株価が20%や30%下がろうが、そんな犠牲に比べれば大した話ではないのである。  そもそも米国の実質金利は低すぎる。ゼロ金利で7%のインフレだから、FF金利の実質水準はマイナス7%という途方もないレベルだ。インフレ率が幸運にも3%程度まで下がったとしても、実質金利をゼロにまで持っていくには3%の利上げが必要なのだ。まあそれは非現実的だろうが、50BP利上げで驚いているようでは「マクロな経済構造が見えていない」と言われても仕方がないだろう。

漫画家くらもちふさこ

 来月引越しするので身辺整理してたら、懐かしい絵が一枚出てきた。1978年、当時漫画家デビューしたばかりのくらもちふさこさんに書いて貰った自画像だ。当時、西荻で週3日の引き語りバイトをしていた時代、お客さんで来ていた彼女にマンガ好きの友人が声を掛けて、描いてもらったものである。その後、彼女は押しも押されもせぬ大漫画家になった。ひょっとして、この絵はお宝になるやもしれぬ。 私のマンガ好きは、姉の影響であった。萩尾望都の全集は断捨離でも捨てられない。ギターは全部売っぱらったのにこれはダメ、という判断基準が自分でも良く解らない。学生時代には、ガロという漫画雑誌も友人から借りて読んでいた。それははっぴいえんど時代の松本隆の世界観でもあった。高校時代、私は難しい漢字を学校ではなく松本隆の詩から学んだのであった。 くらもちさんの一枚の絵は、そうした学生時代の思い出を幾つも引っ張り出してきた。引き語りのバイトの際に、何を歌っていたのかうまく思い出せないが、鮮明な記憶があるのがジャックスの早川義夫である。サルビアの花が全く間違って解釈されてヒットしてしまったことでも有名だが、私の好きなのは「遠い海へ旅に出た私の恋人」。死んでしまった恋人を思い綴った相沢靖子作詞の名曲である。くらもちさんも含め、こういう情景が難なく描ける人は、本当に羨ましい。

株価の相場観

 筆者の専門は株ではないが、講演とか勉強会では必ずと言って良いくらい株の見通しを聞かれる。最近では為替よりも株の話題の方が圧倒的に多い。株を持っていない人からはバブルはいつ弾けるのかと聞かれ、株に熱心な人からは何を買えばよいか、と問い詰められる。挙句の果てに、お前のポートフォリオを教えろ、という人も居る。無料相談室ではないのだ。  だが一応個人投資家としても相場には携わっているので、一通りの相場観はある。失敗もあり、レバレッジも掛かっているので、年間の変動率は高い方かもしれないが過去数十年間のパフォーマンスは悪くない、と自分では思っている。昨年後半はかなり慎重になったので期待利益を失った感もあったが、今年に入っての動きを見れば正解だったと思う。やはり見るべきは実体経済、それも悪魔の宿る細部である。 今年もたいして期待していないので、リスクテイクは年後半までお預けとするつもりだ。講演で何を聞かれても、何もしない、と繰り返すことになるだろう。とはいえ、本当に何もしないのではなく、次に買うのは何かを整理しておくことはやるつもり。その準備は少しずつ始めております。

期待値コントロールの失敗

 先日、3回目のワクチン接種を受けてきた。モデルナは各地で余っているらしい。私は1,2回ともモデルナだったので抵抗はなかったが、どうやら世間では副作用がキツイとの噂で、みんなファイザーを待っているらしい。従ってモデルナなら即打てる、という状況である。高齢者なので早いということも有るが、余ってるなら若い希望者にどんどん接種すればよい。副作用が怖い老人は、感染リスクを背負って待てば良いだけであろう。 これは一種の期待値コントロールの失敗だ。それには前例がある。日銀の「物価上昇期待に働き掛ける試み」の失敗だ。カネをばらまけばインフレ期待が上がる、という奴である。これは物価低迷という長期的体験、値上げは悪だという社会的価値観、そして物価などさして重要でないという合理的無関心という「三本柱」で打ち砕かれた。期待値をコントロール出来るというのは傲慢な思い込みである。  日本だけでなく、米国も物価に関する期待値コントロールには成功していない。FRBは2%という看板を掲げ続けてきたが、一般家計には浸透しておらず、米国民の40%は「インフレとは10%以上の事」という認識を抱いているというデータもある。故に何のために量的緩和をやってきたのか、大半は理解していない。だから、最近になって急に引き締めに転換したので素人投資家が驚いて投げ売り、という展開になっているのだろう。期待値は魔物である。あの中国の習主席だって、期待値を自在に管理することは恐らく不可能で、どこかで何かに失敗するのではないかと思っている。

様々な金融の失敗

 人間は失敗する存在であり、失敗自体を責めることは出来ない。だが失敗を反省してその巻き返しを怠ることは責められても仕方がない。個人的にはディーラーとして恥ずかしい失敗を何度も繰り返してきたが、理解ある上司や同僚のお陰で何とか40代まで生き延び、その無形資産で未だに仕事が続けられている。月並みな言葉だが、失敗は時間の経過とともに負債から資産に変わり得る。  金融と長く付き合ってきたきたので、市場の失敗、政府の失敗、そして中銀の失敗などいろいろな失敗を目にしてきた。昨年はFRBの失敗が最大で、今年もその失敗を引き摺っている。慌てて利上げやバランスシート縮小に向かい始めているが、スタートで出遅れたのは致命的だ。市場やメディアは「タカ派的だ」と警戒しているが、噴飯物である。タカ派的でなかったのが失敗の本質であるからだ。  サマーズ氏のように、景気後退でしかインフレ抑制は成功しないとまでは思っていないが、よほどの幸運が無ければ、FRBのソフトランディング戦術は成就しないだろう。米国の景気失速は来年以降と読んでいたが、急速な引き締めが不可避となる可能性が高いので、少し前倒ししておこう。来年には景気後退も有り得るだろう。日本は本格的なコロナ禍からの回復までにそんな逆風を受けてしまうかもしれない。潜在成長率ゼロの国に、妙薬は無い。

地方金融再考

 あるご縁で、生まれ故郷の地元銀行の社外取締役という貴重な仕事をさせて頂いている。そこには40年前の銀行勤務でお世話になった大先輩もおられるので、お世辞抜きで大変勉強なります。私は田舎出身ながら田舎を放り出し、銀行出身ながら銀行を放り出して流浪の旅に出てしまったので、地域金融のことは殆どこの先輩に教えて貰っている。先般、ある大学で地銀経営というテーマで質疑応答に狩り出されたが、その回答はほぼ受け売りでありました。  とはいえ、4年近くもやっているとだんだん地域金融の事も解ってくる。苦しいだけでなく期待できるところが結構あることに気付く。都会育ちの機関投資家や格付け会社の連中には解らんだろうなア、と最近つくづく思う。「地方」というだけで拒絶反応を起こす人が多いのは、マス・メディアの責任でもある。地方を語るなら、少なくとも5年くらいは地方に住んで働いててみろよ、とでも言いたくなる。  田舎の実家は造り酒屋であるが、その大吟醸の酒粕で作った地ビールが何ともうまい。私は淡白で味も素っ気も無い日本のビールが嫌いだが、これは好きな味だ。いい風味なのですよ。こういう味は田舎でしか出せんだろうなア、と思いながら今日もネットで6本注文した。コロナ禍の巣篭りには不可欠な「田舎味」である。金融にも田舎味がある事を機関投資家はもっと勉強して欲しい。