新しくもない資本主義
1990年代、迷走中だった日本経済にグローバル・スタンダード論争が起き、米国流の資本主義思考や金融資本傾斜に対する賛辞と批判が入り混じる展開になった。世論は専ら批判が主流で、新自由主義者の中には「転向」を余儀なくされた経済学者もいた。米銀で働いていた筆者にはよく意味が解らなかった。米国流のスタンダードには長所もあれば欠陥もあったからだ。
日本は、米国の資本主義を批判できるほど資本主義国ではないというのが筆者の考えであった。1000年の歴史を持つシステムをほんの150年前に輸入し、加工することも知らないで保全だけを考えていた日本に、論評など出来る筈もない、というのが今でも持論である。金融史の真実という本で描いた資本システム論には、そういう批判が込めてある(気づいた人は少なかったけどねえ)。
いままた「新しい資本主義」などという言葉が出てきた。先日、某首相の地元での講演でこきおろしたら嫌な顔をされた。大失敗であったが、噓をつくわけにもいかない。資本主義の本質を知らないで「新しい」も何もない。30年前のグローバル・スタンダード議論から、たいして進歩していないのが日本の経済論壇の実態ですね、たぶん。
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